名前の由来は仕事で使うコンピュータは「ワークステーション」だから、遊びで使うコンピュータは「プレイステーション」に決めたとされる。ユーザー間では「プレステ」と略されることが多いが、CMや自社製品内での記載では一貫して「PS(ピーエス)」と略されている。『ファミ通』の記事によると、盛田昭夫がプレステの「ステ」が「捨て」に通じることを避けさせたようだ。

もともとソニーは任天堂とスーパーファミコンのCD-ROMドライブ「プレイステーション」の共同開発に着手していたが、それが不調に終わったためソニー独自に設計をやり直して今のプレイステーション(開発コードネームPS-X)が作られたとされている。1993年に開始されたプロジェクトは、ソニーの開発陣とソニー・ミュージックエンタテインメントのスタッフらによる合計60人ほどの新会社、SCEの設立によって推し進められた。

同時期に発売された他社のゲーム機と販売競争を繰り広げ、ソニー流のサードパーティ獲得戦略とゲーム流通改革によりもたらされた圧倒的なゲーム数によって市場の主導権を握った。特に、日本を代表するRPGシリーズであるファイナルファンタジーシリーズ、ドラゴンクエストシリーズが当機に変更したことが、プレイステーション絶対有利の市場を作り上げたとされる。(両シリーズ共、それまではファミリーコンピュータ→スーパーファミコンと、任天堂とタッグを組んで作品を発売していた)。

その他、一般向けの開発環境「ネットやろうぜ!」を販売したり、これとは別に新規クリエイタを一般から募集した。また、CD-ROMのコピープロテクトを解除するための非合法なチップが世界規模で出回り、それに「レッドハンドプロテクト」で対抗した。ほかには日本国外で作られたエミュレータをソニーが訴える(結果はソニー側の敗訴に終わる)、などの話題も提供した。

プレイステーションの絶頂期は1996年〜1999年頃で、ゲーマーの間ではこの4年間をプレステブームと呼ぶ。特に1997年〜1998年に渡り、一部の店でソフト等を購入した客に新作お試しソフトを配布した。CMにはプレステマン、クラッシュバンディクー、パラッパラッパー、ピポサル等のキャラクターを使用した。プレイステーション規格の新作タイトルはプレイステーション2発売以降も登場し、2004年頃まで発表され続けた。公式サイトのソフトウェア製品情報に登録されたタイトルは2005年11月現在4324タイトルである(廉価版、初回限定版などによる重複も含む)。

日本での出荷台数約1890万台。2004年5月には全世界累計での生産出荷台数の累計が1億台突破している。

2005年9月には、3Dゲームの技術進歩に大きく貢献したとして、技術・工学エミー賞(Technology & Engineering Emmy Award)を受賞している。